で、何をカナダで得たのか

カナダについてから2、3ヶ月くらい経った頃に、
バンクーバーでは一番有名な元キャスティングディレクターという、
シド と出会いました。
彼には、何度か笹川の芝居を見てもらいました。
彼は、kojiは、感情表現は良いから伝わってはくるけど、
英語が母国語じゃないから、日本人役でしか使えないだろう、
そしてバンクーバーにはそういった役はない、
ハリウッドなら、たま~にあるけど、と、言われました。
確かにその為か日本人の俳優は、皆ハリウッドに行き、
バンクーバーには行きません。
その為、日本人俳優 笹川はいい意味でも悪い意味でも珍しがられ、
おかげで多くのカナダ人俳優やモデル達、エージェント、脚本家、撮影監督、
監督、音楽家、DJ、漫画家、絵描き、CGクリエーター、デザイナー、
キャスティングディレクター、 カナダ1のトレーニングコーチ、などなど、
とにかく色々な人達と出会い、話す事機会に恵まれ、興味をもってもらえました。
(勿論、つたない英語で・・・ですが)
そんな毎日で、日本人俳優はこんな物か  と思われるのが負けず嫌いな
笹川は、とてもとても嫌だったので、必死に英語で演技、パフォーマンスが
出来るよう、毎日を必死に生きていました。
その時の笹川は、勝手に日本代表気分でした^^;
で、英語で一人漫談をしたり、舞台をやったり、ショートフィルムを作ったり、
時には、自分の存在について一人、真っ裸でヌーディストビーチで
想いをめぐらせたり、夜中に見知らぬ男に突然りんごを投げつけられたり、
一番危険、といわれるエリアでkittyと一緒に住む事が出来たり、と
とにかく色々な事を考えられる環境で、貴重な時を過ごす事が出来ました。
カナダで出会った人たちとは、作品なり何なりで、
いつか一緒に仕事をしよう、と思っています。
何人かは日本にも遊びや仕事で来るようなので、
東京に来たら色々世話をやきたいな、と思っています。
(早速この5月に仕事で日本に行くよ、と、メールをくれた子がいますし。)
すべての出会いに意味があると思うので、
(それが時に悪い影響を及ぼしたとしても)
カナダで出会い、同じ時間を過ごした友人達も、日本の友人達同様に
これから大切にしていきたいと思います。
で、よく聞かれる英語力なんですが、本当に大して上がっていません。。。
ただ、必要であれば、
愛想笑いで逃げずにケンカが出来るくらいの勢いだけはつきました。
(もちろん殴ったり、とかではないですよ^^:)
そんな訳で?これからは、
言葉、文化の違うところの人にも伝わるモノづくり、をしていこうと思っています。
例えまったく言葉が分からなかったとしても、何かが伝わるモノを。
カナダでは、今まで持っていなかった新たな視点、想い、勢いだけの英語・・;
そして言葉の壁を越えた?かけがいの無い友人を得る事が出来ました。
笹川がこの先、いったい何年生きるのかは分かりませんが、
これからの人生にこの得たものを生かしていけたら、と思っています。

何故ゆえカナダ

日本に戻り一ヶ月が過ぎました。
帰ってきてから少し逆カルチャーショック、というものを経験しましたが、
もう、いい加減慣れました。
で、色々な人との再会をはたしているのですが、
そんな時に必ず聞かれる事があります。
1)  で、英語はもちろんペラペラなんでしょ?
と、
2) なんでカナダに行ったの?
という2つです。
1) の、英語に関しては、語学留学をしに行ったわけではないので、
ペラペラなんかではありません。(期待はずれで申し訳ないです。)
2) の、何故笹川が、カナダに行ったのかを今日はお話しようかと思います。
笹川は18才で東京に出て、20才から役者として生活をスタートした訳ですが、
それからの10年間、一度も遠くに旅行に行った事がありません。
理由はただ一つ
どこかに旅行している間に、オーディションや、仕事を逃すのが嫌だったからです。
実際、オーディションや仕事は、電話をもらった翌日にあることが
結構あったので、その時に、東京にいなく(戻れず)せっかくのチャンスを逃す、
という事はありませんでした。笹川の20代は、ずっと待ち続ける10年間でした。
まあ、撮影で海外や、国内の観光地やら色々なところにに行かせて頂いたりは
しました・・・・が、ずっと海外に出たい、という思いを持ち続けていました。
しかも、映画の都、ハリウッドに。
でも現実的には、アメリカで就労ビザを取るのはかなり難しいし、
学生の頃はとても嫌いで、苦手だった英語は、まったくもって聞き取れないし
話せない、読めない、書けない・・・といった状態でした。
でも、自分がやりたいと思っている事に必要なことを何故やらないのか?
と自問自答した結果、改めて英語を勉強し始めました。
笹川が行ったバンクーバーは、映画の都、ハリウッドと同じ西海岸に位置し、
人件費が安かったり、ロケ地の誘致を行なっているので、第2のハリウッドと呼ばれる位、
撮影が盛んに行なわれている、英語のアクセントもあまり変わらない、
そして30歳前なら、カナダには ワーキングホリデービザ という就労ビザが簡単に
取得出来る、と、いいことずくめでした。
そんな訳で、30歳の誕生日を迎えた数日後に、カナダ バンクーバー行きの
飛行機に乗る事になったのです。
30歳まで もしこの制限がなかったら、ズルズルと先延ばしして、
もしかしたら行っていなかったかも知れません。
(笹川にとっては、30歳 というのは大きな区切りだったので。)
ただ、色々な周りの環境が、カナダ行きを後押ししてくれているように思いました。
(はじめてまともに話した英語圏の人は、カナダ人で、そいつがとてもいい奴だったとか)
そして簡単に得た就労ビザを使い、エキストラ等も経験する事が出来ました。
今回のカナダは、色々なものを待ち続けた笹川にとっての
役者開始10周年記念行事、みたいなものでした。
そんなこんなで笹川にとっての初めての一人旅は始まりました。

365日間

アラスカからバンクーバーに戻り、すぐに帰国、という日程を立てたので、
バタバタと、帰国用の荷物を80リットルのバックパックやらなにやらに
詰め込んでみました。
カナダにやってきた時も、自分の身一つで乗り込む、という気合を入れるため、
あえてゴロゴロがついているバックを持たずに(覚えている人、いるのかな?)
来たので、帰りも自分で持てる範囲の荷物で帰ることに。
飛行機に乗り、約9時間、365日振りに、日本に帰国しました。

帰国後は~~~~
住民票を日本に入れるため、そのまま実家の新潟に帰りました。
で、2年振りに甥っ子に会ったりしました。
以前会った時にはまだ話せなかったのに、今回会ったらよく話す子になっていて、
笹川が英語を覚えている間にこの子は日本語を・・と、
なんだか時の流れを感じました。
最初のルームメイトが、今、日本(新潟)に、ワーホリビザで来ているので、
新潟で、彼女とその彼氏に再会しました。(なんか不思議な縁です)
そんなこんなで数日を実家で過ごした後、東京に戻り、
友人宅にアポ無しで、転がり込みながら
新しい部屋を探したり、色々な人に帰国の報告をしてまわったり、
新しい事を始めるにあたってのアドバイスを頂いたり、
新居用に電化製品や家具を頂いたり^^。
と、なんだかんだとバタバタしておりました。
とりあえず、生活出来る環境は整ったので、
あとは、新しい事を軌道に乗せられるように頑張っていきます。
そんな訳で、
過去日記~カナダ、アラスカ篇~は、この辺で終了させて頂きます。
やりたかった事が全部出来たわけではないけれど、色々な事に挑戦し、
経験し、色んな出会いが出来た、今回の一年に及んだ初めての一人旅。
自分が何者なのか、そして存在意義さえ分からなくなるような不思議な環境に
身を置く事によって、自分が本当にしたい事を発見することが出来ました。
ちなみにバンクーバーを去る際に、何年後かに、
バンクーバー・インターナショナル・フィルムフェスティバルに
自分の映画を持って帰って来るよ! なんて事を友達に言ってしまっているので、
いろいろ頑張って行かなきゃなぁ~と改めて思う今日この頃です。
そんなこんなで、笹川功二の工事中 は、また東京篇に戻ります。
今後もよろしくお願いいたします。